ぼくはタイで生まれ、タイで育った。
かつて・・・・タイ語を喋っていた。
でも、どうしてだろうか・・・・・・・何も覚えていない・・・・。
写真家・小林紀晴(監督)は同じく写真家・瀬戸正人の自伝エッセイ『トオイと正人』(第12回新潮学芸賞作)を20年ほど前に手にしたときから、いつかこの物語を映画にしたいと考えていた。やがて瀬戸の元を訪ね、その了承を得た。
最初に瀬戸と共に向かったのは、東日本大震災の原発事故の大きな被害をうけた福島県浪江町。その後、共にタイ、そしてラオスへ向かう。28歳だった瀬戸の背中を小林が追い、その後を64歳になった瀬戸が追いかけて来ることになった。
福島県に生まれた瀬戸の父・武治は昭和17年に出征。中国、ベトナムを経て、終戦をラオスでむかえる。帰国の道を選ばず、残留日本兵となった数年後、メコン川を渡り、タイのウドンタニという小さな町でベトナム人になりすまし生活を始める。
やがて武治はベトナム系タイ人の女性と結婚。そのあいだに「トオイ」が生まれる。さらに武治は現地で写真館を始める。その後、武治は葛藤の末に日本大使館にみずからが残留日本兵であることを名乗りでる。
「トオイ」は8歳の時に、武治の帰国にあわせて日本へ渡る(武治の故郷、福島県・武治はここで写真館を再建する)。そして名前を日本名「正人」へ変えた。その後、20歳になった「正人」は稼業である写真館を継ぐために東京の写真専門学校へ進学する。そこで出会ったのは写真家・森山大道。
家業を継がずに写真家を目指した「正人」は28歳のとき、バンコクへ、ウドンタニへカメラをたずさえて旅に出る。きっかけは写真家・東松照明の写真集『太陽の鉛筆』。ページをめくると、南シナ海とインドシナ半島の地図が広がっていた。
「父、母、僕……そして妹も、弟も、その中にいるような気がした」
8歳でタイを離れて、すでに20年の月日が経っていた。かつて自分が過ごした町を訪ね、記憶、言葉を取り戻したかった。
やがて、「正人」のなかに眠っていた「トオイ」が、静かに目を覚ます。さらに父の記憶を追ってメコン川を渡る。
Tooi, whose father was a former Japanese holdout and whose mother was a Vietnamese descendent Thai, went to Japan at the age of 8, and took the name ‘Masato’. Later, the 28-year-old Masato, aspiring to become a photographer, visited Bangkok, Thailand and his birthplace, Udon Thani. The Tooi who was hidden within Masato quietly awakened. He traveled across the Mekong river, following the memory of his father. The autobiography of the photographer Masato SETO (who won the Ihei Kimura award) was made into a non-fiction film. The first film by Kisei KOBAYASHI, it was shot in Thailand, Laos and Fukushima, and narrated by Mayu TSURUTA.
(Script, direction, photography by Kisei KOBYASHI, 2021/color /63mins)
Selected in the International New York Film Festival, ARFF International (Berlin Monthly Edition) and the NanJing International Film Festival.